使用者の従業員に対する求償
私の商店で雇っている従業員が自分の不注意のため交通事故を起こしましたので、私は、本人に代わって加害者に対して損害賠償をいたしました。今後本人の月給から少しずつ弁償してもらおうと思っておりますが、さしつかえないでしょうか。
これは、雇主や経営者が被害者に損害賠償をした場合、外部に対しては一応ケリがついたが、事故を起こした運転者と賠償をした雇主との内部関係はどうなるかという問題です。
原則論からすれば、法律に「使用者又ハ監督者ヨリ被用者二対スル求償権ノ行使ヲ妨ゲズ」と規定されていますから、雇主は、事故を起こした従業員に対して求償することができます。会社によっては、運転手を雇い入れる際、事故を起こした損害については運転手が責任をとり損害賠償をする旨の一札をとったり、企業内の就業規則に規定しているところもあります。
しかし、実際には、会社の業務の執行中に起こした事故の場合に運転手に求償するのは、ほとんど本人の故意または重大な過失に因ったときに限られているようです。
その求償が実際上少ない理由としては、まず、責任保険のついている範囲内では、保険で問題が片づき、運転手に求償する必要がないことがあげられます。
第二に、自賠法三条の規定が、賠償責任者を「自己のために自動車を運行の用に供する者」としていることが考えられます。つまり、自動車による人身事故については、運行供用者である会社が直接的な賠償責任者となっており、運転手はその過失が証明されたとき民法によってはじめて責任を負うことになるからです。また、賠償責任あるいは企業責任の立場からは、利益を収める者、危険を創りだした者が責任を負うべきであり、企業から生ずる損失を被用者に負担させるのは妥当ではないという意見も強いのです。また、実際に会社の側に労務管理上の問題があって、求償を認めるのが妥当でないと考えられることも少なくありません。
第三の理由としては、多くの場合、運転手に資産がなく支払能力がないという実際上の問題によるものと思われます。たとえ月給から十分の一程度をさし引かれるとしても、その賠償額が多額なときには、運転手は生涯払っても払いきれないほどの借金を背負うことになり、絶望感のあまり死んでしまうようなことにもなりかねません。現に自動車事故で五〇万円の損害賠償を言い渡され、その重荷にたえかねて自殺した運転手があったということです。
第四の理由は、現在、運転手については求人難であるということでしょう。悪質な運転手は、事故を起こすたび飛び出して就職先を変え、責任を回避する者もおりますが、雇主側では自分の会社や店で働いてもらいたいため、運転手の無謀操縦による事故でも、やむなく求償していない場合も多いようです。
第五の理由は、日本では、安月給の従業員に求償することは、道義上非難が起こりやすいということでしょう。つまり、金持ちの経営者が安月給の従業員に求償することは、弱い者いじめをするとか、不人情であるとかいわれがちで、裁判上でも往々にして特別な取扱がなされ、特に会社側に過失のあるような事件では運転者は損害賠償をする必要はないとした判決さえあ
ります。この事件は、ある運輸倉庫会社の整備工場に勤務していた整備工が、会社の運転手不足のため自動車を配達に使用したところ、不注意により前行車に衝突したり、国道で老婆をはねたり、他店の門をこわしたりしたもので、そのため同社はその整備工に合計二三万五、六一六円の損害を求償した事件ですが、裁判所は、その事故がすべて整備工の若さと運転未熟から発生したものであることを認めながら、会社とその従業員との間に損害を払うという特約があったことが認められないし、運転手として不適当なことを知りながらあえて運転手の勤務をさせたのだから、事故の損害は使用者が負うべきもので、その整備工は支払う必要がないと判決しました。
このように、使用者の従業員に対する求償は、実際上なかなか困難のようです。しかし、どのような場合にも、すべて使用者が負担するというのもどうかと思われます。特に従業員の重大な過失や規則違反によって起きた事故の場合はとうぜん負担させるべきものでしょう。したがって、本問の場合でも、以上に述べたことを参考にして検討され、求償するのが適当だと思われる場合には、無理のない求償額を決定し、従業員とよく話し合って納得させたうえ、念書でも提出させ、月給から少しずつ弁償させるのがよいと思われます。
かりに求償するにしても、使用者側にも運行供用者責任があり、また管理上の責任があることもありますから、運転手側に事故について故意または重大な過失があり、その責任の割合がきわめて大きいような場合は別として、通常は賠償額の半分ぐらいまでの求償が妥当ではないかと考えられます。
さらに、こういう問題については、今後保険を十分つけることによって、求償しなくてすむようにしていくべきだと思われます。
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