運転者の注意義務

一概に運転者といっても、民事の損害賠償責任については、その運転者がいわゆる自動車運行供用者(自賠法三条)であるかどうかによって、その責任の負い方がちがいます。前者の場合、例えば自家用事の所有者が自分で運転している場合には、運行供用者としての責任を負わされたことになりますから、特別の免責事由のかいかがり、原則として損害賠償の責任を負うことになります。すなわち、この場合の運転者は原則として、自己に過失のなかったことのほか、被害者または第三者の故意、過失があったこと、および自動車の構造上の欠陥または機能の障害がなかったことの三要件のすべてを備えなければ免責にはなりません。しかも、立証責任は運行供用者側にありますから、無過失責任に近く、賠償責任を免れることは、事実上きわめて困難であるといえましょう。
これに対し、運行供用者にあたらない運転者、たとえば、他人に雇われている運転者が損害賠償の責任を負うのは、運転者に故意または過失のある場合です。しかも、この場合、故意、過失の存在を証明する責任は賠償請求者つまり被害者側にありますから(もっとも、この場合でも、過失という加害者の主観的事情を、被害者が十分に立証することはきわめて困難ですから、加害行為の類型とか、その場の状況などによって推定的に証明し、裁判官の心証を得ているのが実際です)、その追及される責任は、運行供用者責任よりは厳格でなく、運転者の故意、過失の有無を争う余地があるといえましょう。ここでは、自賠法三条にいう自動車運行供用者にあたらない運転者、一般的にいえば他人に雇われている運転者の責任について述べることにします。なお、以上の民事責任に対し、刑事責任の場合には、運転者は、運行供用者であろうとなかろうと、その取り扱いに異なるところはなく、故意、過失がなければ処罰されません。

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民法七〇三条にいう故意、過失とは、どういうことでしょうか。一般に、故意とは、自己の行為によりある一定の結果が発生するだろうということを認識しながら、その結果の発生を容認して、その行為をあえてするという心理状態のことをいいます。これに対して、過失とは、自己の行為によってある一定の結果が発生するだろうということを認識すべきであったのに、不注意のためにその結果の発生を認識しないでその行為をするという心理状態のことです。たとえば、恨みを抱いて人をひき殺してやろうと思い、自動車をその人に衝突させるのは故意であり、横断者を認め、減速徐行しなければその人と接触するかも知れないということを認識すべきであったのに、相手方が止まってくれると思い、高速度でその横断者の脇を通り抜けようとしたが、相手が止まってくれなかったので衝突して死傷させれば、過失となります。
この故意、過失の意味は、刑事責任の場合でも変わりありません。しかし、刑事責 任の場合には、この両者は厳格に区別されますが、民事責任の場合には、いずれも不法行為としてとらえられますから、論議する実益に乏しいとされています。また、同じ過失であっても、刑事上では厳格にしぼって考えますが、民事上ではかなり容易に過失を認める傾向にあります。この相違は、前者が刑罰を科するのに対して、後者は損害のてん補を主な目的とするからです。
故意の場合については、特に述べるまでもなく、運転者に不法行為責任があることはおわかりでしょう。問題は過失の場合ですが、過失を認めるためには、その前提として注意義務が問題となります。すなわち、運転者には種々の注意義務というものがあり、これに違反した場合に始めて過失が認められ、事故の結果に対して責任を負わなければならなくなるのです。
では、ここにいう注意とは、いったいどういうことをいうのでしょうか。やや難しくなりますが、法律的にいいますと、もともとは、ある対象を特別に強く明確に意識する状態のことです。しかし、最近特に刑事の場合には、さらに法律的概念としての用意ないし用心の意味を含むと解されています。つまり、五感の集中作用、精神力の緊張または心神の全機構の統一を意味するだけではなく、用心深く行動して法的侵害から遠ざかる行為ないし態度をも含めるというものです。
ところで、この「注意」は、社会生活上の必要な注意を意味しますから、その注意義務の標準は、社会一般人が行為者と同じ具体的地位と状態にあったならば払うべきであり、かつ、払いうると期待される程度のものをいいます。つまり、原則としては、中程度の、あるいは平均程度の注意といえましょう。しかし、一般人といっても、ばく然と人間としてではなく、それぞれの職業なり地位にある普通の人ということですから、自動車の運転者についていえば、通常の運転者に必要とされる注意義務が基準となります。
しかし、注意義務の程度は、一般には、その行為から生ずる危険の大小や被侵害利益の軽重によって変化するものと考えられています。たとえば、人命や健康を扱う医師が高度の注意義務を要求されるように、自動車などの高速度交通機関を扱う運転者も、裁判例によると、一般的にかなり高い注意義務が課せられています。別表の「運転者の注意義務の事例」を見ても、そのことがよくわかるでしょう。もっとも、このような事例の場合には、被害者側にもかなり過失がある場合が多く、過失相殺により賠償額がかなり削られることが多いようです。
被害者が児童のような場合は、被害者に過失があったといえるかどうかが、むずかしい問題になります。最高裁の判例では、八歳一〇ヵ月の児童につき、社会通念上、行為の責任を弁識するに足るべき知能を備える者とは認め難いとして、過失相殺を認めなかった事例があります。また、七歳八ヵ月の少女に対して、同様過失相殺を否定した判決があります。もちろん、加害運転者に過失があったかどうかは、被害者例の過失の有無とは直接には関係しませんが、被害者側が幼児、児童の場合には、運転者側の注意義務が事実上加重せられているのが実状のように思われます。したがって、車を運転するときには特にこどもには十分注意を払う必要があります。車の速度、道路の 状況、被害者との間隔、被害者の年齢など細かに検討していくと、結局、民事上の損害賠償については過失があると認められる可能性が多いと思われます。結論は裁判をやってみないとはっきりはしませんが、このような事情を考え、また、相手方とよく話し合いされるのがよいでしょう。
ところで、世間の人のなかには、取締り 法規、たとえば道路交通法が規定している内容さえ守っておれば、過失はないと考えている人が少なくおりませんが、決してそうではありません。たとえ法規に規定されていなくても、それ以外一般的な注意義務があるのですから、それに違反すれば過失があることになります。たとえば、対向車の前照灯に眩惑されたときの注意義務は、道交法にはなんら規定されていませんが、この場合は必要に応じ直ちに徐行または急停車の措置をとるべき注意義務があります。したがって、この措置をとらず、いわゆる盲運転をして通行人に死傷を与えれば、運転者の過失は、通常免れないでしょう。
逆に、取締法規に違反した場合、とうぜんに過失があるかといえば、これまた一概にはいえません。たとえば、スピード違反の場合、かりに一、ニキロオーバーしても厳密にいえば道路交通法違反となりますが、その程度オーバーしたこと自体が過失と直結するとはいい難いでしょう。むしろ、具体的現場の状況としては、徐行すべきであったのに法定速度程度の速度で走行したことが過失とされるでしょう。
このように、法規に違反したからといって、その違反がとうぜんに過失となるとはいえませんが、その違反の結果、それが保護しようとした実質的利益を侵害したものであれば、通常、過失があるとみられるでしょう。もっとも、法規自体、一見して不合理な要求をしているならば、問題は別になります。

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