歩行者の飛出しで対向車に衝突した場合
自ら第三者を助けるために交通事故を引き起こすことがあります。刑法上緊急避難にあたる場合は処罰されないことになっています。交通事故の場合は、どんなときこれにあたり、罰せられないのでしょうか。
刑法の条文に、「自己又ハ他人ノ生命、身体、自由若クハ財産二対スル現在ノ危難ヲ避クル為メ己ムコトヲ得サルニ出タル行為ハ典行為ヨリ生シタル害其避ケントシタル害ノ程度ヲ超エサル場合二限リ之ヲ罰セス但其程度ヲ超エタル行為ハ情状二因リ其刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得」という規定があります。これがいわゆる緊急避難といわれるものに関する規定で、通常の場合ならばなんらかの犯罪行為として処罰に値する行為であっても、その行為の行なわれた状況等を判断して、危難が切迫していて、他にこれを避ける方法がない場合に、やむをえずその行為を行なったとみられる場合には、これを処罰しないことにしようというものです。
つまり、ある行為について、法的な責任を問おうとするためには、その前提として法の立場から、その行為をしないことが行為者に期待できる場合でなければならない。換言すれば、行為者が違法行為と適法行為についてそのどちらかを選択する自由を有していたのにもかかわらず、あえて違法な行為を選んだ場合にだけ、行為者に法的な責任を問うことができるのだということです。適法な行為に出ることを期待できないような状態にある者に対して、違法な行為
をしたと同じ責任を追求するのはあまりにも酷であり、法はそのように非情なものではありません。
このような考えのうえに「緊急避難」の例として、次のような例が教科書にのっております。
船が難破しておぼれそうになった二人の人が、一枚の板にしがみつこうとする場合のことで、この場合、二人でその板につかまればその板とともに沈んでしまうが、一人でならやっと浮いでいられるような状態のなかで助かろうとして、後からこれにつかまろうとした人を突き落として溺死させて自分だけ助かったとしても、それは緊急避難行為として犯罪にはならないというものです。この反対に、後からその板に泳ぎついた者が先につかまっていた者を突き落として殺し、自分だけ助かった場合にも、やはり緊急避難としてこれを処罰しないということになります。この場合にも処罰しないということは、とうてい道義的には許しがたいように思われますが、しかしこれをもあえて処罰の対象外においたのは、前に述べたように、適法行為の期待ができないからです。処罰される者の立場を考慮して人の情としてやむをえない行為、みずからの生命や身体を守るための行為は不問にしようということです。
そこで、交通事故の場合ですが、運転者が、いきなり道路に飛び出した人の身体生命の安全を守ろうとして、対向車にぶつかることもやむなしとしてハンドルを切った場合には、当然対向車に衝突したからといって、その責任を負わされることはないことになります。
ただし、これは法がその状況からみて、やむをえない行為であったとしてはじめて許されるのですから、そのためには、ハンドルを対向車の方向に切ったことが、その状況下で真にやむをえないものであったかどうか、もっと早くか
ら飛び出しを発見できなかったか、警音器を鳴らして自車の接近を知らせていたのかどうか、他の方法はとれなかったか否かなどの点がすべてみたされており、真にやむをえなかったといえる場合にはじめて認められることです。したがって、実務上これを認めた事例は少ないようです。
ところで、この事例で車を運転していた者がふつうの速度で走っていたなら、人が飛び出してもブレーキを踏むことによって十分に間に合っていたはずなのに、制限時速をはるかに超えるスピードで走っていたために、ブレーキ操作では間に合わず、そのためにハンドルを右に切って対向車に衝突させてしまった場合はどうでしょうか。この場合は、前の例とは違って、いわゆる「自招危難」と呼ばれ、緊急状態に陥ったことに対し、行為者自身に責任がある場合です。
大審院時代の判例のなかに、これと似た事例があります。これは徐行義務違反の運転者が、一人の少年を轢くのを避けようとして、その少年の祖母に自動車を衝突させ死亡させた事件です。判決では「その危難は行為者がその有責行為によりみずから招きたるものにして、社会の通念に照らしやむを得ざるものとして、その避難行為を是認する能わざる」場合であると述べています。
つまり、自分でまいた種は自分で刈り取れということです。しかしすべての場合にこう言い切れるか、はなはだ疑問です。
緊急状態を利用する場合を意図して行動したような場合は別ですが、偶然の事情から自招することになった危難に対しては、なお緊急避難の法理を適用するとするのが一般的な見解です。それは予期しない危難にあって困惑するのは、自招の危難であるかどうかによって異なるものではないと考えられるからです。
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