交通事故の報告義務を怠った場合

運転者は事故後危険防止の措置、救護義務をつくした後は、すみやかに最寄りの警察署、交番、駐在所の警察官に状況を報告する義務があります。報告は文書ではなく、口頭でも、電話でもよいし、運転者直接ではなく第三者によってもよいことになっております。事故の内容を報告し、現場を離れてはならないと命ぜられたときは、警察官が現場にくる前に立ち去ってはなりません。報告義務を怠ると三月以下の懲役または三万円以下の罰金が科されます。事故を起こしたのに報告もせず逃走した場合は、悪質なひき逃げ事件として公判請求がなされ、厳しい処罰となるケースが多いのが現状です。もっとも運転者にこの報告義務を負わせたのは、犯人を早急に見つけて厳罰に処しようとするためではなく、あくまでも被害者をすみやかに放置させ道路における交通の危険を防止して早期に交通秩序を回復しようとしたものです。

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ところで憲法第三八条には人権保障の見地から自白を強要することは禁止されておりますので、加害運転者に、みずからの運転事故について警察官が事故報告の供述を強要すると、この法理に反し憲法違反の問題が生じます。
 下級審の裁判官のなかには、そのためこの報告義務自体を憲法違反として無罪の判決をなしている例も多数あります。しかし、最高裁の判決は一貫してこれを否定し、報告義務は二重事故発生の防止と事故の適切処理という公益的な目的から設けられたものであり、この報告内容についても事故原因とか過失などの責任原因についてまで報告を強要していないことをあげ、憲法違反ではないとしております。
 この問題は、今後とも討議を必要とするようですが、少なくとも、警察官に対して、すすんで過失の内容や事故原因などまで報告する必要のないことは明らかです。そうでないと、自白を要求することとまったく一致してしまうからです。
 報告すべき内容は、事故の日時・場所、死傷者の救と負傷の程度、損壊物とその程度、事故についてとった措置とされています。そこで注意すべき点をのべてみましょう。
 まず人の死傷または物の損壊を生じた事故についての認識の有無が問題になります。これは、救護義務の項で説明したことと同一です。
 次に、直ちに報告しなければなりません。被害者の救護および現場の危険防止の緊急措置をとるのに要する時間を除いて、直ちに、の趣旨です。自宅、勤務先、知人宅に立ち寄ったような場合には、直ちに、というわけにはまいりません。
 この点について、判例を見ると、東京高裁昭和三九年一〇月二七日判決は、事故後無為に現場から七〇〇メートル隔たった知人宅に赴き知人に説得されてから報告する気になり、被害者の入院先に赴くべく通行中に警察官に停止を命ぜられた事例について、また最高裁昭和四二年一〇月一二日判決は、人身事故を起こしたととを知りながら救護せず、自宅に向かう途中助手席の同乗者が顔から血を流しているのを見て「とても逃げられない」と思い、事故現場から手近なまたは最も便宜な警察署があるのに、一四・三キロも離れ、事故後二〇分も経過して報告した事案について、いずれも「直ちに報告がなされた」とは認められないとしています。
 警察署には本人が出頭しなくともよく、一一〇番で電話連絡でもよいことになっております。電話は自分でかけなくとも、他人に依頼して連絡してもよいとされております。ですからできる限り早く、簡単に報告しておくべきです。なお報告先の警察官の官職氏名は聞いて控えておくべきです。事例では、被告人が警察官に電話で報告したのに、なんという警察官であったかが不明のため立証できず有罪になってしまったケースがあります。
 無免許運転者に事故報告をさせるのは憲法の黙秘権の保障に違反するのではないか問題になりましたが、運転者の氏名の報告は要件でないとして報告義務があるとされています。
 運転者が被害者を救護し、交通秩序回復の措置を講じたため、警察官がもはやなんらの措置をとる必要がなくなった場合でも報告義務を負うのかの問題があります。判例の大勢はこの場合でも報告義務を免れないとし、その理由として、専門の職務執行者である警察官をして、運転手のなした措置が適切であったか否か、さらに講ずべき措置はないかの判断の余地があるので、報告義務は免れないとしております。
 しかし、学説には強く批判しているものもあります。
 次に、警察官がパトロール中に事故を現認したような場合に、報告義務を必要とするのかという問題があります。判例はこのような場合でも報告義務はあるといっております。人身事故を起こした車のすぐうしろをパトロールカーが走っていたため事故は直ちに警察官の知るところとなりましたが、運転手がその場を逃走したので二〇〇メートル余も追跡の結果停車を命じられたがこれにも従わず、さらに逃走し現場から四五〇メートルも離れてようやく停止した事件について、報告義務違反を認めたものがあります。
 一方の運転者が事故を警察に報告した場合に、他方の運転者が報告義務をつくさなくともよいのではないかの問題があります。すでに警察は事故発生や事後措置を知っているのだから、再び連絡しなくともよいのではないかという考え方もあります。しかし判例は、当事者の一方または第三者から報告がなされても他の運転手は義務を免れることはできないというのが現在の大勢です。したがって相手が連絡したからといって、こちらが報告をおろそかにすることはできません。
 傷害罪やその他の罪を発生させた場合の報告義務も問題があります。たとえば、群衆の中に自動車を突っ込んで死者を出した場合、バンパーに人間がひっかかっているのに、無視して強引に自動車を進めて死亡させたような場合には、未必の故意という理論を適用して殺人罪に該当するとしたことがあります。こんな時の報告義務についてはとくに憲法の自白強要禁止との関連で大いに問題があります。判例はこの場合、交通事故と傷害などの犯罪を区分して、交通事故については報告義務があるとしています。しかし果たしてこのように一個の事件を区分できるのか否か疑問が残ります。また最初から傷害を計画した事案について、報告義務ありというのも常識的にはおかしいことです。一連の犯罪行為として重い犯罪に吸収して考慮し報告義務はないと考えるのが妥当だと思われます。
 救護義務違反や報告義務違反の場合は、それだけでも法律違反として処罰の対象となりますが、同時に発生の交通事故について責任がある場合(業務上過失致死傷事件)には、判決の刑の結果に重要な影響を与えます。いわゆるひき逃げは交通三悪の一つといわれるくらいであるため、おおむね懲役刑の実刑が言い渡されるのが実務の現状なのです。

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