交通事故と信頼の原則
信頼の原則という言葉は、運転者にとっては時おり聞かれる言葉かと思います。ドイツの判例理論が日本にはいり、次第に定着している原則です。これを要約しますと、「運転者の行為によって事故が発生した場合において、その事故発生の結果が、とくに運転者側からみて特別な事情がない限り、被害者または第三者が交通法規を守るであろうことを信頼して行動したにもかかわらず、予想外の法規違反の行為によって事故発生をひき起こした場合は、運転者は事故発生についての法的責任を負わない。」ということになります。「自動車運転者は、他の人が交通規則を守るであろうことを信頼してよく、したがって他人が交通規則違反の態度にでるであろうことまで考慮して運転すべき義務はない。」とも言えます。
自動車はもともと走る凶器などと言われて、人の生命や身体、あるいは他の事物に対して重大な被害を生じさせる危険性を有しています。しかし反面、今日の社会生活、産業の基本的地盤を形成しているのも自動車交通であって、車社会などとも呼ばれている現代において、自動車は私たちの日常生活にとって必要不可欠なものともなっています。したがって自動車の危険性のみを強調し、運転者に過酷な罰のみを科しておりますと、今日の社会機能は麻痺してしまいます。
そこでこのような場合に行為の危険性と社会的な有用性を秤にかけて、一定の危険をおかしてもやむをえないとして法律が許容している範囲があります。これを許された危険とも呼んでいます。これに対応して、被害者側はその危険を回避するための努力を要求されることになります。双方の立場を調整するものが、社会的危険の適正分配の原則です。
この原理に立脚して、詳細な分配法則と具体的適用基準を設けたのが道路交通法等の交通秩序です。そこで運転者は交通法規のわくのなかで運転する義務があるとともに、その範囲内での運転によって生ずる危険については許されたものとされるわけです。これに対して、第三者は適法な行動をとっている運転者の行動を是認し、違法な行動にでることによる危険は、みずからが背負わねばならぬことになります。
たとえば青信号で進行する運転者に対して、被害者が赤信号で飛びこんだため、死亡または傷害を受けても、運転者に責任を追求することはできないということです。青信号に従って進行する運転者は、赤信号を無視して進んでくるであろう車両や歩行者のことまで予測して行動しなくともよいということになるわけです。
したがって、この信頼の原則は、許された危険、あるいは、危険の分配の法理と表裏の関係から考えられた理論とも言われております。
わが国において信頼の原則がほぼ採用されたと言えるのが、昭和四一年二一月二〇目の最高裁第三小法廷の判決です。この判決がはじめて信頼の原則の適用を確認したのですが、それから数年を経過し、下級審の判決例も数多く積み重なり、次第に判例法上確定しつつあるのが現状です。
そこで、この事例を検討してみましょう。被告人は小型貨物自動車を運転して交通整理の行なわれていない交差点を右折しようとしたところ、車道中央付近でエンジンが停止したため、再び始動して発車しようとし、左側のみの安全を確認し時速五キロメートルで右折進行しかけたところ、右側方から第二様原動機付自転車を運転してくる被害者を約五メートルの近距離ではじめて気づき、直ちに急停車の措置をとったが間に合わず、バンパーで原動機の側面に衝突させて転倒させ負傷させるにいたったのが本件です。
これに対して最高裁判所は、「自動車運転者としては特別の事情のない限り、右側方からくる他の車両が、交通法規を守り、自車との接触点を回避するための行動にでることを信頼して運転すれば足りる」として、本件は被害車両が突然に右側に突入してくることまで予測する義務はないとして、無罪を言い渡しております。
また、大阪高裁昭和四二年九月二八日の判決には次のように言っています。被告人が、大型自動車を運転して国道の左側を進行中、前方二〇メートルくらいの地点から突然対向車がセンターラインを越えて被告人進行車線のなかにはいってきたため、急ブレーキをかけたが間に合わず、衝突し死亡させてしまった事件に対し、「相手車両が直前に接近してから急に対向車道に立ち入ってくることまでも予測し、そのために生じうる衝突事故を避止するため、あらかじめ警音器を鳴らして相手に警告を与え、または減速徐行し、あるいはことさらに道路の左側に寄って進行しなければならない業務上の注意義務があるとすることはできない」と判示しています。
その他、いくつかありますが、交差点に進入しようとする自動車運転者に、交通法規に違反して高速度で交差点を突破しようとする車両のありうることまで予想すべき義務はない、赤信号を無視して交差点に進入してくる車両のありうることまで予想すべき注意義務はない、交差する道路の幅員より明らかに広い幅員の道路から交通整理の行なわれていない交差点にはいろうとする運転者は、交通法規に違反して交差点にはいり、自車の前で右折を開始するような車両のありうることまでも予想して減速徐行するなどの注意義務はないなどが有名です。
信頼の原則は運転者らの適切な行動を期待するとともに、交通法規にしたがった運転歩行を前提とするものですから、道路状況など四囲の状況が信頼関係に影響を与えるものであるか否か、行為者らに交通法規の遵守を要求できるものであるか否か、一般の運転者であったら予測可能性、回避可能性があるかどうかなどが影響してきます。
これを個別的に考えてみますと、第一に行為者自身が交通規則を守っていることがたいせつです。被害者が交通規則を守らずに道路を横断していたからといって、運転者も信号を無視したり、速度違反の運転をしていたような場合には、信頼関係を問題にする余地はありません。交通法規を守って適法に運転している運転者の責任を免除しようとする考え方が信頼の原則なのですから、違法な運転者まで保護するというわけにはまいりません。
第二に、他人(被害者ら)の法規違反が予見されている場合には適用されません。被害者が酒に酔って路上に寝ているのが遠くから発見できたとか、無謀運転の状況が早くからわかっていたような場合は、運転者としては危険を防止することができるわけですから、事故発生の防止のための措置をとる義務が生じてきます。大阪高裁昭和四四年一〇月九日の判決は、先行する自動二輪車が再三の警告にもかかわらず、避難しないで中央線付近を蛇行してきたが、警音器の吹鳴で左に避けたと思って追い越しをはじめたところ、右に蛇行してきたため接触した事案について、すでに異常な運転をしていたのに気づいていたのであるから、その動静に注意を払い安全な間隔をもって追い越すべきであるとして、信頼の原則の適用を排除しております。
第三に、幼児、老齢者、酩酊者、身体障害者などの要保護者については、交通法規の遵守を期待することは困難ですから、運転者としてこれらの者を路上に認識し、または認識しえた場合は、より一層の強い注意義務があり、危険を防止すべきで信頼の原則を主張することはできなくなります。
以上述べてきたように、信頼の原則が認められる社会的条件として、自動車交通の高速化と安全性についての社会的要請、交通教育の徹底と交通法規尊重の生活習慣の確立、道路その他交通環境の整備と安全化にまつことが多いことになります。裁判所が自動車事故について信頼の原則の適用を認めるようになったのは比較的に新しいものであるうえ、まだ形成中であるということはこの社会的条件がととのっているかどうかと深いかかわりがあるからです。運転者としてはこの動きに注目する必要があります。
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