自賠責保険の損害処理
自賠責保険では自動車の保有者と運転者が被保険者となります。すなわち、保有者が自賠法三条の自動車損害賠償責任(運行供用者責任)を負担した場合、および運転者が民法七〇九条の不法行為責任または同七一九条の共同不法行為責任を負担した場合が、この保険の対象となります。したがって、実務上は事故発生時に現実に運転していた者を確認すると同時に、自動車を使用する正当な権限の有無を確認するなどにより、保有者または運転者を認定することが必要になります。
スポンサーリンク 自賠法三条の責任主体は運行供用者です。運行供用者とは、保有者をはじめ自己のために自動車を運行の用に供する者をいい、一般に運行時において自動車の「運行を支配」し、かつその「運行による利益が自己に帰属する」者とされています。
実務上は誰が運行供用者責任を負うかが問題となる事例もかなりあります。たとえば「無断運転」の場合、第三者による無断運転については、保有者に運行供用者責任が負わされないのが通常ですが、保有者の被用者、家族、親族など関係の深い者による無断運転の場合には、いわゆる外形理論により保有者にも運行供用者責任が負わされるケースがあります。なお外形理論とは、たとえば雇用運転手が雇用主の自動車を私用で運転中の事故でも、外形的には雇用運転手としての職務範囲に属し、雇用主の事業の執行と認められるとする理論です。
「泥棒運転」の場合、泥棒運転者本人が運行供用者責任を負いますが、保有者については否定されるケースが多いようです。たとえば、タクシー会社の駐車場からキーを差し込んだまま駐車中のタクシーを窃盗し無断運転した事例について、最高裁で保有者に管理上の過失がないとしてタクシー会社の運行供用者責任が否定されています。
「一時的な賃貸借・使用貸借」の場合、自動車の借主とともに貸主(所有者、レンタカー業者など)も運行供用者責任を負うとするのが一般的です。また「元請・下請」の場合、下請業者の従業員の派遣を受け業務上の指導・監督を元請会社が行っていた事例について、元請会社の運行供用者責任が肯定されている半面、車体に元請会社の社名が表示されていたが当該下請に対する仕事量が元請の四分の一に該当し、これが下請の全仕事量の四割に該当していた事例については、元請会社の責任が否定されています。つまりこの場合は元請と下請の相互関係や実態により、運行供用者責任が認められると考えられます。
運行とは、「人または物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいう」とされていますが、「運行によって」生じた事故か否かについて具体的事例をあげてみると、次のとおりです。
運行によって生じたといえる事例としては、自動車の走行中の衝突・接触・転覆などによる事故、坂道に駐車中にブレーキ操作が不完全なため無人の自動車が暴走した事故、クレーン車のクレーン、トラックの側板などの装置をその固有の目的によって操作している間の事故、降車のためドアを開けたところ単車がドアに衝突した事故などがあります。また、一般的に肯定される訳ではありませんが、運行によって生じたと認められることもある事例としては、目的地に到着したばかりのトラックから荷おろし作業中、誤って積荷を落下させた事故、違法駐車や見通しの悪い場所での駐車により他の自動車が衝突した事故などがあります。
一方、一般に運行によって生じたといえない事例としては、車庫に格納中の事故や駐車場に完全に駐車の状態にある場合の事故などが考えられます。
自賠法三条の「他人」とは、運行供用者および当該自動車の運転者以外の者と解され、一般的にはこの考え方が通説となっています。そこで具体的に、被害者の類別ごとに自賠法上の他人性について説明します。
「加害自動車の車外にいた通行人その他の者」は他人になりますが、「運行供用者」は通常、他人になりません。ただし、自賠責保険の実務では、保有者が友人に自動車を貸した場合で、たまたまその保有者が歩行中に友人の運転する自己所有の自動車によって死傷した場合には他人に該当するとされています。また「運転者」も他人と認められません。しかし、事故当時直接運転していなかった運転者については、長距離トラックの正副運転手が交替運転している場合で仮眠中の運転手は他人と認められる半面、業務命令に違反して助手に運転させ、自ら助手席に同乗していた正運転手について他人性が否定されています。なお、「運転補助者」も一般的に他人にあたらないとされています。しかし、職務上当該自動車の運転補助者(助手や車掌)であっても、事故当時に具体的に運転補助業務に従事していない場合は他人になります。
一方、「近親者」については「妻は他人」といわれた最高裁判決がありますが、これによると「被害者が運行供用者の妻であっても、そのことだけで他人にあたらないと解すべき論拠はなく、具体的事実関係のもとにおいて被害者が他人にあたるかどうかを判断すべきである」とし、本件自動車は夫が所有して運転し維持費も負担しており、妻は運転免許証を有しておらずかつ事故当時運転補助行為もしていなかった事実を認定し、「原告妻は自賠法三条にいう運行供用者、運転者もしくは運転補助者といえず同条にいう他人に該当する」と判示しました。
自賠責保険では、それまで夫婦・親子間の親族間事故について保険金支払いの対象外としていましたが、本判決を契機に取り扱いを改訂し、この種の事例についても他人性を認めることになりました。ただし、近親者である被害者も当該自動車を共同利用していたなど運行供用者性が認められる場合には、「共同運行供用者」として他人性が否定されます。「好意同乗者」すなわち好意的に、多くは無償で他人を自動車に同乗させた場合について、最高裁は好意同乗者にも他人性を認める判決を下しています。なお、近親者以外で「共同運行供用者」となる場合にも、原則として他人に該当しないとされていますが、自賠責保険の実務では、たとえばレンタカーを数人が共同で借りたときに、特別な事情がない限り事故当時運転していた者だけを保有者とみなし、他の者は同乗者として自賠責保険金の請求を認めて被害者救済をはかっています。
運行供用者は自賠法三条ただし書きの三条件が立証できる場合のみ免責とされます。三条件の立証は事故と因果関係のある条件について立証すればよく、事故と因果関係のない条件については、当該事故と関係ない旨立証すれば足りるとされています。免責とされた具体的事例としては、飛び込み自殺、いわゆる当たり星、信号に従い適法に停車しているところに追突された事故、対向車がスリップし突然センターラインをこえて進行したため衝突した事故などがあります。
当該事故の加害自動車の運転者は、民法七〇九条により一般の不法行為責任を負わされます。民法七〇九条による不法行為責任が発生するための要件として次の四つがあげられます。
(1) 自己の故意または過失による行為に基づくこと(故意、過失)
(2) 他人の権利ないし利益を違法に侵害したこと(権利の違法な侵害)
(3)責任能力があること(責任能力)
(4) その行為によって損害が発生したこと(損害発生の因果関係)
この場合、故意・過失の立証責任は被害者側にありますから、前述の運行供用者に責任が認められても、運転者の過失を認める根拠が不十分な場合は、運転者は民法七〇九条の責任を免れることがあります。
傷害事故の場合は、原則として被害者本人がすべての損害について損害賠償請求権者となります。被害者が未成年の場合には、通常その親権者が請求することになります。また、傷害が被害者の死亡にも比肩すべき精神的苦痛を近親者に与えた場合は、民法七〇九条、七一〇条により近親者の精神的損害に対する慰謝料の請求が認められることもあります。
死亡事故の場合は、被害者が取得した損害賠償請求権はすべて相続人が継承して行使することになります。すなわち相続人は、死亡したことにより生じた死亡者本人の得べかりし利益の喪失損害(逸失利益)、ならびに死亡者本人の慰謝料を請求することができます。また、被害者によって扶養されていた者も、その扶養請求権を侵害されたことによる損害賠償を請求することができます。扶養請求権者は死亡者の父母、祖父母、孫、兄弟姉妹で、相続権はないが被害者から扶養を受けていた者、家庭裁判所の審判で被害者から扶養を受けていた者、内縁の妻(夫)などです。
死亡の場合の慰謝料請求権者は、原則として死亡者の父母、配偶者および子ですが、このほかに内縁の妻(夫)、継子、兄弟姉妹、祖父母などの固有の慰謝料を認めた判例もあります。このように死亡の場合の慰謝料は死亡者本人の慰謝料と慰謝料請求権者固有の慰謝料がありますが、実務上は慰謝料を総額でとらえ、一括して認定されています。
交通通事故における被害者の加害者に対する損害賠償請求権は、被害者またはその法定代理人が、損害および加害者を知ったときから三年間行使せず、または不法行為のときから二十年を経過したときは時効によって消滅します。ただし、当事者が時効の援用をしなければこの限りではありません。また、裁判上の請求があった場合や、加害者がその債務を承認した場合には時効が中断します。
損害とは一般に被害者が事故によって現実に被った不利益をいい、大別すると財産的損害と精神的損害(慰謝料)の二種類があります。財産的損害には治療費、葬祭費など、事故のため被害者側が実際に支出を余儀なくされる積極的損害と、治療期間中喪失した所得の損害、死亡または後遺障害による労働能力の喪失・低下によって将来得べかりし所得が喪失・減少したことによる損害などの消極的損害(逸失利益)とがあります。
これに対し賠償義務者が賠償すべき損害の範囲は、事故によって通常生ずべき損害、すなわち事故と相当因果関係のある損害とされています。なお、過失相殺については後で説明することにします。
積極的損害に対する賠償の内容と範囲は、必要性、相当性、合理性のあるものに限定されます。
治療費は診察料、検査料、投薬料、手術料、処置料、入院料などを含みます。治療費の認定についての判例の傾向は、健康保険基準による治療費の一・五倍ないし二倍程度の金額を上限とすることが妥当と判断しています。なお、被害者が特別室(個室など)に入院した場合の料金については、最近の判例の傾向として被害者の地位・身分を考慮に入れず、もっぱら傷害の態様など治庭上の必要性に基づいて判断しています。
付き添い看護費は原則として、医師がその治療上必要と認めた場合に限り認められます。看護婦や派出婦が付き添った場合は、食費を含めた付き添い料金が、知人や近親者などが付き添った場合は、職業付き添い人の料金を上限として必要かつ妥当な額が認められます。
諸雑費とは療養に直接必要のある諸物品の購入費や使用料、医師の指示により摂取した栄養物の購入費、通信費、医師・看護婦への謝礼などをいい、通常、一日当たりの定額で認定されます。そのほかに、入退院、転院、通院などに要する交通費も原則として実費が認められ、診断書、診療報酬明細書、交通事故証明書などの書類発行手数料も認められます。
葬儀費用、仏壇購入、墓碑建設の費用、供養、法事(通常四十九日まで)の費用などの葬儀費は、現在の社会生活において相当かつ必要と認められる範囲内で認められますが、判例上も保険実務上も、定額の基準を設けています。
被害者が自己の権利擁護のために弁護士に訴訟を委任した場合の弁護士費用は、事件の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌して相当と認められる額の範囲内で認容されます。実務上は判決で示された弁護士費用は認められますが、裁判上の和解や調停、示談のときの弁護士費用は認められていません。
治療期間中の休業損害は、過去の収入額から算出した一日当たりの平均日収額に、妥当な休業日数を乗じた額となります。事故当時の被害者の収入は、有識者の場合は事故前三ヵ月ないし一年間の収入が基準とされますが、現実の収入の立証が困難な場合は統計資料などにより推算することになります。家事従事者は現実の収入減はありませんが、実態に応じて適宜認定されています。労働の対価としての収入のない無職者(幼児、学生、金利生活者など)は、収入減がなく休業損害は認められません。なお、休業日数は傷害の態様、治療経過などから判断して、治療期間を限度として事故と相当因果関係のある期間に限られます。
被保険者は被害者に対する損害賠償を支払ったときは、その支払った限度において保険金の請求ができます。この請求には示談書の提出は必ずしも必要としませんが、保険金請求書、交通事故証明書、事故発生状況報告書、診断書または死体検案書、被害者に支払った示談金などの領収証、被害者の損害を立証する書類(診療報酬明細書、休業損害証明書など)、戸籍謄本(死亡の場合のみ)その他が必要です。
被害者は加害者が支払うべき損害賠償額を直接保険会社に請求することができます。この場合、加害者との示談成立など損害賠償額の確定は必要としませんが、損害賠償額請求書の他、保険金の請求の場合とほぼ同様の書類の提出が必要です。
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