自賠責保険の成立と概要

 自賠法成立までは、自動車事故の被害者に対する民事上の賠償は民法七〇九条不法行為、同七一五条使用者責任の規定によるとされ、したがって被害者側に加害者の権利侵害行為ならびにその故意または過失を立証する責任(挙証責任)が課せられていました。ところが自動車による人身事故の場合、被害者側に運転者などの権利侵害行為、ならびにその故意、過失を立証させることは一般的に著しく困難であるばかりでなく、加害者の賠償責任が裁判上認められても、加害者に賠償資力が欠けていれば、結局は被害者の泣き寝入りに終わる可能性が強かったのです。
 そこで、これらの難点を克服して被害者の不利益を救済するため、民法に対する特別法の制定が検討されるようになりました。すでに昭和十年に当時の内務省社会局で自動車損害賠償制度についての最初の立案が行われましたが、そのまま立ち消えの状態となっていました。しかし第二次大戦後、モータリゼーションの急速な発展と、それに伴う事故の激増があって、再び運輸省を中心に昭和二十七年から調査検討が開始された結果、三十年五月に自動車損害賠償保障法案が国会で審議され、同年八月から施行されました。

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 自前法はまずその第三条において、民法の不法行為責任に対する特則的な責任として「自動車損害賠償責任」を規定しました。すなわち、第三条ただし書きの三つの条件がすべて立証される例外的な場合を除いて、「自己のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によって他人の生命又は身体を害したときは、これによって生じた損害を賠償する責に任ずる」ことになりました。したがって、加害者が責任を免れようとすれば、ただし書きの三つの条件を立証しなければならないわけです。しかし、加害者にとって、ただし書きの三つの条件を立証することはかなり困難であるため、事実上無過失責任を負わされたのと近い形になっています。
 「自己のために自動車を運行の用に供する者」を通常「運行供用者」といい、その自動車の運行を支配し、かつその運行による利益が帰属する者とされています。自動車の所有者、借用者は無論のこと、無断運転者などもこれに属するとされますが、もっぱら他人のために自動車を運転する雇用運転者などは含まれません。また、ここでいう「運行」とは自賠法二条で「人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該措置の用い方に従い用いること」とされています。
 なお、第三条ただし書きの三つの条件は次のとおりです。
 自己および運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかったこと、被害者または運転者以外の第三者に故意または過失があったこと、自動車に構造上の欠陥または機能の障害がなかったこと。
 一方、加害者側の賠償資力を確保し被害者の損害に対する賠償を保障する手段として、自前法は三つの制度を設けています。
 第一は自賠責保険、第二に自賠責保険に代わるものとしての自動車損害賠償責任共済(責任共済)であり、第三は政府の自動車損害賠償保障制度(政府の保障事業)です。自賠責保険については次項以下で詳細に説明することとし、ここでは他の二制度について筒単に述べることにします。
 まず責任共済は農業協同組合、同組合の組合員、役職員などの所有する自動車を対象に、農業協同組合および農業協同組合連合会(組合)が契約を引き受けており、昭和三十七年八月に制度が発足しました(全国的なとりまとめは全国共済農業協同組合連合会が行っています)。自賠法五四条の二により、前記対象自動車は責任共済契約を締結すれば、自賠責保険を付保しなくても運行の用に供することができ、その意味で責任共済は部分的に自賠責保険に代わる存在となっています。
 責任共済契約の内容、効力は自賠責保険とまったく同様であり、また責任共済掛金も自賠責保険料とまったく同額とされています。なお、責任共済契約による組合の共済責任は、軽自動車および原付自転車に関するものを除き、その六〇%が政府に保険されています(自賠責保険の再保険に当たります)。
 また、政府の保障事業はいわゆる「ひき逃げ」による被害者および「無保険」など保険の適用がない事故の被害者に対して、政府が自賠責保険の保険金額と同じ額を限度としてその損害をてん補する制度です。
 この場合、政府は加害者ではないので、政府の支払いは損害賠償としての支払いではなく、本来の損害賠償義務者に代わって行う損害のてん補です。したがって、政府はその支払金額の限度で損害賠償義務者に対して代位求償することになります。この政府による保障制度は保険会社および組合などが納付する自動車損害賠償保障事業賦課金を財源としていますが、この賦課金は自賠責保険料と責任共済掛金に織り込まれています。なお、被害者の政府に対する請求は、業務の委託を受けた保険会社および組合が受け付けることになっています。
 自賠責保険に関する財務大臣の諮問機関として、自動車損害賠償責任保険審議会があります。審議会は政府職員、学識経験者などが委員として任命され、責任保険に関する重要事項、保険約款および保険料率に関する大蔵大臣の認可などにつき、諮問を受けることになっています。
 自賠責保険契約は保有者が第三条の自動車損害賠償責任を負担したことによる損害、および運転者が民法上の損害賠償責任を負担したことによる損害をてん補する保険契約です。すなわち、保有者と運転者がこの保険の被保険者ですが、保有者とは「自動車の所有者その他自動車を使用する権利を有する者で自己のために自動車を運行の用に供するもの」を指し、また運転者とは「他人のために自動車を運転または運転の補助に従事する者」をいいます。したがって、運行供用者ではあっても保有者とならない泥棒運転や、無断運転の運転者は被保険者とはなり得ず、第三条の責任を負っても保険保護は受けられたいことになります。なおこの場合、被害者は政府の保障事業により、損害のてん補が受けられます。
 自賠責保険契約は強行規定である自賠法一一条に基づく契約であり、保険会社と保険契約者の間で同条の規定に反する契約を締結することはできません。すなわち、自賠責保険にも普通保険約款はありますが、これによって自前法を修正することは許されず、もし約款の規定が自賠法に抵触するときは、その規定は無効となります。したがって、約款は単に法の規定を補足するにとどまり、また約款に規定がなくても当然に自賠法の規定が適用されることになります。
 次に、自賠責保険契約は保険契約者が保険料を支払うことを約し、保険会社が保険責任を負うことを約することによって成立する諾成契約です。しかし、保険料の現実の支払いがないまま保険責任を負うのでは保険会社の経営が成立しないので、同法二四条により、保険料の支払いがないときは契約の引受を拒絶できることになっています。したがって、事実上保険料を添えた申込でない限り、付保できない仕組みになっています。
 自賠責保険契約の一つの特徴として、保険会社が契約上免責となる事項が少なく、わずか二項目に限られています。一つは保険契約者または被保険者の悪意によって生じた損害についてですが、この場合でも後に述べる被害者請求に対しては支払う義務を負います(ただし保険会社は自賠法七二条により、政府の補償をうけることができます)。もう一つは、重複契約の場合の契約締結日の遅い契約についてですが、この場合も重複の事実を知らずに被害者に支払った保険会社は給付の返還請求はできないことになっています(ただし保険会社は被害者が加害者に対して有する権利を取得して求償します)。
 次に、保険金の支払いについて説明します。
 人身事故を起こした被保険者が損害賠償責任を負った場合には、通常まず自賠責保険に請求します。この場合、被保険者が保険会社に請求できるのは、保険金額の範囲で現実に被害者に対して損害賠償として支払った順に限られます。これは被保険者が保険金を受領しながら被害者に損害賠償金を支払わないという事態を防止するための規定です。
 また、保険金の請求は損害賠償の全額を支払った後に行うのが原則ですが、実務上は被害者の治療費などに充当するため、一部前払いした金額について損害賠償金として認定される範囲で、内払いの請求が認められています。
 被保険者の請求に対して、保険会社は事故の事実関係を調査して被保険者に責任があることを確認し、かつ被害者に生じた損害を見積もって保険金の支払額を決定しますが、決定に当たっては、各社同一の支払基準を用い、また自動車算定会所属の自賠責保険調査事務所による調査を基礎とすることにより、支払額の厳正公平を期しています。
 また、自賠法一六条は被保険者による保険金請求の代わりに、被害者が保険金額を限度として損害賠償額の支払いを保険会社に直接請求することを認めています。この被害者請求制度は任意自動車保険に導入されるまでは、自賠責保険に固有の制度でした。損害賠償額の支払額の決定も、保険金の場合と同様の手続きで行われますが、自動車事故の約五〇%について被害者請求がなされており、事故の早期処理、被害者の損害の迅速なてん補がはかられています。被害者請求の場合は必ずしも被・加害者間に示談が成立していることを条件としませんが、被保険者がすでに被害者に対して損害を賠償しているときは、保険会社はそのてん補額の範囲で、被害者に対する支払義務を免れることになっており、残余の損害賠償額についてのみ支払うことになります。
 この被害者請求の場合にも、保険金の支払いの場合と同様の内払いの請求が可能です。
 なお、自賠責保険特有の制度として、自賠責保険の付保自動車の運行によって生命または身体を害された被害者は、保険会社に対して政令で定める一定の額を仮渡金として請求することができ、保険会社は保有者の損害賠償責任の有無にかかわらず、遅滞なく支払うことどたっています。これは被害者が医療費や葬儀費など当座の出費に充当するための使宜をはかったものです。
 自賠法はその第五条において、すべての自動車は自賠責保険契約が締結されていないと運行の用に供してはならないと規定して、保険契約の締結を強制しています。これが自賠責保険が一般に強制保険といわれるゆえんです。
 昭和三十年の自前法発足当初は、この締結強制を確保する具体的手段に欠けていたため、保険加入率は七〇〜八〇%にとどまっていました。そこで三十七年八月に自賠法の一部改正が実施され、自賠責保険の付保を車検に結びつけるなど、締結強制を確保する手段が次のように整備され、現在に至っています。
 自動車検真証の有効期間を包含する保険期間の表示された自賠責保険証明書の提示がないと、自動車の登録、検査が受けられないため、検査証の有効期間中は必ず保険が付保される仕組みとなっています。このため、保険会社は自賠責保険契約が締結され、保険料が支払われたときは、必ず自賠責保険証明書を交付することになっています。
 なお、自賠法八条は自動車は自賠責保険証明書を備え付けなければ運行の用に供してはならないと規定する一方、第八五条において、必要に応じ道路その他の場所で自賠責保険証明書の提示を求める旨を規定し、この面からも付保もれ防止をはかっています。
 原付自転車などは登録、検査の制度がないため、保険会社から保険期間の終期の年月を表示する保険標章の交付を受け、前面ガラスなどの見やすい場所にはりつけることになっており、はりつけないと運行の用に供してはならない旨定められています。これによって付保の有無、保険期間の終期が明瞭に示されることになります。
 保険会社は保険契約者の告知義務違反が明らかであるとき、保険料の支払いがないときなど正当な理由がある場合を除いて、自賠責保険の契約締結を拒否できないことになっています。

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