昭和22年
昭和22年10月11日、ヤミ米を食べることを拒否して、療養先の佐賀で東京地裁の山口良忠判事は亡くなりましたが、この年に至っても食糧難は相変わらずでした。しかし、闇市のにぎわいは、しばしば手入れを受けながらも多くの人々を集めていました。その中でも最も人気を呼んでいたものの1つが密造酒でした。1920年代のアメリカ禁酒法時代に見られる都市の夜の文化とはいささか様相を異してはいましたが、カストリと呼ばれる密造酒は、ようやく芽生え始めた戦後の文化を語る上では欠かすことのできない物でした。悪質な密造酒にはメチルアルコールが混入されており、杯を重ねると失明したり最悪の場合には死を招きました。カストリは、したがって別名をメチルをもじって目散酒、命散酒と言われたものです。つまり1杯、2杯はよいが3杯目ともなると命が危なくなるということから、このカストリに引っ掛けて、3号ともたない雑誌を「カストリ雑誌」と言いました。新聞用紙でさえ割当制であったから、エログロ文化中心のカストリ雑誌の用紙は劣悪でした。仙花紙は本来チリ紙用でしたが、多くはこれを使わざるをえず、紙の表面はともかく裏面はザラついていて印刷文字が透けて見える代物でした。額縁のヌードショーに長蛇の列を作り、田村泰次郎の「肉体の門」における新モラル論や「完全なる結婚」論をカストリ片手に論じる人々は「カストリゲンチャ」とも呼ばれました。

民主化
民主化は冷戦はソ連邦の民営化と崩壊、そして東邦の民主化と開放によって直接的には終結したという歴史認識から、冷戦後の世界では民主主義の求心力が強まり、民主化支援策も広く展開された。武力紛争の和平案でも総選挙の実施は重要な部分を占めるようになり、選挙管埋を代行することなどの国連の平和維持活動の機能に含まれるようになます。停戦後の難民の帰還は人道的のみならず選挙の実施の観点から政治的にも重要なこととなる。他方で、民主化への圧力が過渡期の混乱と不安化をもたらすことも懸念されます、冷戦期の大国の陣営争いの下で政治的解決が遅れたさまざまな民族・宗教対立が冷戦後に顕在化しています。主要国の目立った介入基準は、経済権益有無といえます。冷戦後の世界ではさまざまな分野で高い専門性による問題解決が求められています。そして専門家たちは国際的な協議でいっそう専門性を高め、政策決定への影響力を強めていきます。 20世紀には、最大多数のプロフェッショナルが他国と直面したのは戦場においてでした。21世紀には、兵士ではなく専門家が、戦場ではなく国際会議という部隊で他国と最も頻繁に出会うででしょう。ポスト冷戦の時代は、国際会議の時代なのです。
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